Spirit-Edge Blog

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これからも共に生きて。

ご無沙汰しております、ふるめたです。




3月17日。




長年付き添ってきた祖父が85歳で他界いたしました。

日記を書くべきかどうかで悩んだのですが、
告別式も終わり一段落し、将来この日記を見返すことで
当時のことを鮮明に思い出せればと思い記載させていただきます。
(以下また長文になります。すみません)

僕は今26歳になりますが、
それまで一家全員不幸もなく
家族6人でずっと一緒に生きてきました。


生まれた時から祖父が傍にいて、
辛かったとき、泣いたとき、怖かったとき。
優しく包み込むように話を聞いてくれた記憶があります。


昔から僕はおじいちゃん子で、田んぼの際は軽トラの隣にいつも
座らせてもらい親戚参りやお寺参りの時もずっと傍を離れませんでした。



祖父は昔、お医者さんに「持って35歳までの命」と
宣告を受けたそうです。
私も含め祖父も子供のころは体が弱く、
皆と一緒にサッカーや野球もできなかったそうです。



ですが祖父は本当に頑張りました。
集まった親戚の話はみな「素晴らしい人だった。」
と口々に申していただき、また涙してくださいました。


祖父の死因は「肺がん」です。
元々ヘビースモーカーだったのに加え、
工場でアスベスト含む鉄筋の解体を行っていたこともあり
肺に水が溜まりだしていました。


それでも去年12月はみんなで年越し蕎麦を食べ、
家族全員でカウントダウンをしたものです。


悪化しだしたのは今年1月。
呼吸が辛くなり酸素吸引器をつけなければ日常生活が
出来なくなりました。




2月

がんが転移し手術が出来なくなり、
延命治療しか施せないと通告を受けました。

その頃から祖父は背中の痛みを訴え、
強い痛み止めや頓服を数種類服用し
寝たきりの日々が続きました。

この頃から薬の副作用か幻覚が出て
次第に私の名前も思い出すのに時間がかかるように
なってきたのを記憶しております。



3月


のどに痰が詰まったことで救急車で搬送され、
家庭での療養が困難との見解から入院することになりました。

上旬はまだグチを言う元気もあり、よく笑い話を
しにお見舞いに行っていたのを覚えています。



3月10日


様態が急変したとの連絡を家族から受け、病院に向かいました。
まだ言葉はしゃべれますが幻覚がひどく、
家族の顔を見ても別人のように会話したり、
記憶が混乱していったのを覚えています。




3月16日


言葉を発することが出来ず、こん睡状態になりました。
家族の間でも度重なる看病の疲労や混乱から喧嘩が絶えませんでした。

3月からは24時間体制で家族で交代しての
看病が続いていました。




度々、点滴を外して病院を抜け出したそうです。
おばあちゃんを探して。


そして、「家に帰りたい」と何度も看護士さんにお話ししていたそうです。


僕もパニック障害で
たまに呼吸困難になるときがありますが、本当に辛いんですよ。


痛みだけならば耐えられるかもしれません。
でも【呼吸が苦しい】と、寝ることすらできないんです。


精神疾患で一番つらいのは呼吸器関連、次に胃だと思います。
たいていは寝て起きたら気持ちが安定するんですが、
その寝ることを許されない。


祖父の精神・身体共に疲労は想像を絶するものだったと思います。





3月17日


午後から心拍数がどんどん下がり、14時に
他界いたしました。


その時間帯、私は連続でお休みをいただいていたため
仕事をこれ以上止めれず、出社していました。


家族から連絡を受けて病院に直行しましたが間に合わず、
看取ることが出来なかったのが悔やまれてなりません。















そこからは怒涛の日々でした。
お通夜、そしてお葬式。
悲しむ時間も忘れ
やることに追われました。


そして今、一段落しこうして日記を書くに至ります。




すごく不思議な気分です。
勿論悲しみもありますが、何より改めて
【祖父が他界したことの実感がわきません】


家族全員で食事をしていても、【ぽっかりと】何かが
欠けている感覚が付きまといます。


遠い旅行に行っていて、フラっと帰ってくるんじゃないか。
そんな想いが抜けません。



「祖父はもうこの世にはいない」
という事実を受け入れることがまだ出来ていないんでしょうね。


26年当たり前だったものが欠けた。その瞬間
【今ある日常こそが大切な宝物】だったんだと改めて思いました。



昨日の夜、葬儀の疲れも取れたのか一晩中大泣きしてました。
おかげさまで目真っ赤ですw


祖父は本当に人とのつながりを大切にする人でした。
そして何より活気にあふれていました。


仕事で辛いことがあっても、人間関係で疲れても。
祖父の笑顔を見て声を聞くことで本当に心から落ち着いて。

愚痴を言わず、最後は絶対に笑顔で別れる。
そして次会うときも笑顔で会う。
そんな人でした。


それなのに僕は祖父が本当に辛い中満足に看病が出来なくて。
自分で自分を戒めたい気持ちで一杯でした。



少々古い話ですが、
僕は昔兵庫の大学にいた際、尼崎の脱線事故を経験しています。
その日の朝は実家から通っていて、僕の一本後の電車が
その脱線事故にあいました。

その際に命について深く考え、
【死は突発的に訪れる。だから今を精一杯生きよう。】

そう思っており、
心である程度【死】を割り切れているものだと思っていました。


ですが病室で他界した祖父を見たとき。
頭が真っ白になり、ただただ目からは涙がこぼれ。
声にならない声を知らないうちに出してました。


日が重なるたびに やつれ、骨と皮だけになりながらも
懸命に病気と闘い続けた祖父。


人の死の重みを真正面から受け入れることが
これほど辛いことだとは思いませんでした。
そして同時に深く感謝しました。


【人の死について色々なことを僕自身が心に受け止められる年齢まで祖父が元気に生きてくれていたこと】


幼すぎても、年を取りすぎてもきっと【死】について
ここまで考えさせられることはなかったと思います。


20も半ば過ぎ、
そして精神疾患を患いながらも仕事をしている【今】だからこそ。
こうして重く深く受け止められたのだと思います。




長くなりましたが、今は家族も落ち着きました。
幸いにして祖母はストレスを全く感じさせないタフなお方なので
祖父が亡くなっても心配していませんw

でも一番つらいのは祖母なんですよね。
それでも家族のことを想って気丈にふるまってくれている。

残された祖母、そして父母と弟。そして愛犬。
家族全員、力を合わせてこれからも生きていこうと思いました。



最後に。


祖父の死をきっかけに、自分の中でいろいろなことが変わりました。


精神疾患に負けかけていた自分が
【祖父の為にも負けるわけにはいかない】と気持ちを心から変えれたこと。
以前使用していた頓服はもう使わなくても大丈夫。
落ち着いて対応できるようになりました。

結果家族が葬儀でパニックになる中、
最後までフォローすることが出来ました。



そしてより
「絵」に対して情熱を持てるようになりました。


実は尼崎脱線事故から、デッサンを猛勉強していた時期がありました。


デッサンは目前の情報をより詳細に紙に創造します。
僕の部屋の階段には、元気だったころの祖父のデッサン絵を飾ってあります。



絵を描けるとはどういうことなのか。
そう。祖父が現実にいなくなっても、【自分が創造した絵の世界の中で】
祖父を生き永らえらせることも出来るんです。
いつでも会えるんです。


祖父の魂と祖父の血は、僕の中に宿ってます。
永遠に会えないわけじゃない。


これからは祖父と一緒に、絵を、エンターテインメントを
創造していければと思います。
長くなりましたが、日記で悲しむのは今日限り。


明日からはツイッターも再開し、いつも通りの世界に生きていきます。
今回は家族のお話になりましたが、こうして知り合った皆様も
僕の大切な友達です。


遠く距離は離れておりますが、命ある限り
共に人生を歩んでいきましょう!


そして皆様、どうか今共に生きておられるご家族を大切になさってください。
子供のころ親から受けた愛情を、存分に親孝行して返してください。

長文、失礼いたしました。
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